Fの日記

只今 整理中、感じること多し!

ジャーン、明けましてぇ~!

年末の2階リフォームが終わり、フロアー、窓、壁、天井の拭き掃除、片付けに追われ

ブログは休業しておりました。

リフォーム自体は、そんなに大掛かりな工事ではないものの、後の片付けは半端なく大変でした。

やはり4つの大型家具の処分は、スペースはできるが物に溢れ、しどろもどろ状態でした。

仕方がないから覚悟を決め、生き方自体を変更したりして・・・

拭き掃除でできたあかぎれの痛みは、変更を迫られている心の痛みかしら?

なんて思いながら、頭をひねって連日連夜、夜中の2時ごろまでやっておりました。

 

毎回、整理をしながら感じることがあります。

その時々によって違うのですが、自分の傾向を客観的に捉えることができるようです。

このことが一番の収穫かもしれません。

 

例えば、前回感じたのは、同じようなメモ帳やノートが至る処から出てくるのです。

もらった物、使おうと思って買った物。

やっぱり史人・・・歴史を伝承する人から名前をつけただけあるな、と。

せっかくだから、その役割を果たさないとな・・・と。

 

そして今回は、息子や私の子ども時代の写真が捨てられない傾向あり。

きっと私の中で、当時の消化できていない感情があるんだ。

そして、なんと見つけたのです。未消化の感情を。

大きな大きな収穫でしたよ。

何かが転げ落ちて、1歩前進できました。

滞っている感情に気づくだけなのに、すぅーと足が軽くなりました。

整理ってすごい! といつも感心します。

 

そして、もうお別れできる・・・と心が決まるのです。

今日も大好きだった 真っ赤なセーターとベスト、ピーターパンのような紺のスカートを

ゴミ箱に見送りました。

手放せたのは、実は物ではなく しがみついていた心だったようです。

 

さて、今日から我が家は平日業務が戻ってきました。

おっちゃん、兄ちゃん達も各々の持ち場にもどり、新年の幕開けです。

心新たに、新しい道を切り拓いていきたいとおもっています。

スタジオFのを、どうぞよろしくお願いいたします。

 

ブログは、更に刷新的なことを書いていきたいと思っています。

みんなが心の中で感じているが、口に出して言えなかった事など。

すかっと 詰まっていた何かを流していきましょうね。

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2014.01.04

アルゼンチンの夕べ

アルゼンチンタンゴのCDを買ってきました。

この3日間タンゴばかり聴いています。

そしてアルゼンチンの夕べ・・・は水曜夜ヨガのお茶の名前です。

これがまた、美味しかったこと!

 

無性にタンゴが聴きたくなったのには 訳があります。

実は12月18日は私の母の生前の誕生日でした。

母は非常にやり手マダムで、何でもに果敢に挑戦するかっこいい女性でした。

私が幼稚園に通っていた頃、喫茶店を経営していて、その時にかかっていたのが

アルゼンチンタンゴだったのです。

 

私は小さかったし、タンゴが流れていたことなんてすっかり忘れていたのですが、

夏にお友達の良恵ちゃんに誘われてアルゼンチンタンゴのコンサートに行きました。

懐かしいメロディーに心の扉がふぁーっと開いて、胸に何かがじゅわーと広がりました。

なな・・・何んだろうこの感覚。

 

そうだ、私、アルゼンチンタンゴを聴いて育ったんだ!

私のバックグランドミュージックなんだ。

 

そして、このじゅわー・・・の糸をたぐってみたくなって、CDを買いに行ったのです。

聴くごとに 色んな場面、色んな感情が出てきます。

タンゴと出逢ったのも、それらをいい感じに消化できるようになったのかもしれません。

今日は、そのCDに書いているタンゴの歴史を垣間見つつ、私の思ったことを書いてみますね。

 

タンゴは1880年前後に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの ポーカという地区で生まれたと言われています。

当時のアルゼンチンは、ヨーロッパ各地からの移民を受け入れていました。

中でもポーカは、イタリア移民が多かったそうです。

そのため とイタリアのカンツォーネアルゼンチンの土着民謡の合体に加え、

キューバのハバネラ、アフリカのカンドムベ、そしてヨーロッパのポルカやワルツなど

様々な国の音楽が渾然一体となっているのです。

 

そう言われてみれば そうかも。

どの曲も共通して言えることですが、最初は日本の演歌のような感じで始まります。

やるせなさ、貧しい暮らしの中の苦悩のようなもの。

でも さび (山) の部分になるとクラシック調になり、感じがガラリとかわるのです。

哀愁をはらんだメロディーの裏に、人間としての尊厳や気高さが覗いてる、そんな感じですかね。

不思議だなと思っていたら 色んな文化の合流があったんだ・・・すごく納得しました。

これこそ 闇と光の融合 ですね。

 

私は自分の名前に、歴史の「史」を付けました。

母の育児日記に、「史人」 歴史を語る人より名付けた・・・と書かれていました。

 

人でも文化でも、その背景を知ることは大切なことです。

歴史を知れば、その物 (者) への殆どの理解を得ることも多いですよね。

 

さて、今日から谷利家は2階のリフォームが始まりました。

ヨガスタジオも家具で埋まり、動物たちと一緒にキャンプ生活をしているみたいです。

アルゼンチンに夢を馳せて、おやすみなさ~い!

 

 

2013.12.20

そもそも”健康”って何よ?

以前、体操の勉強に行った時のこと、講座の始まる前に ”今食べたい物を買って来て下さい”

という指示が出て、お店に食品を買い出しに行った。

そして筋肉と食品との因果関係を、実験を交えて検証していった。

結果は、今何を欲しているか が大切で、体の欲する食品を摂ると、筋肉はパワーアップして働く

というものだった。

面白かったのは、買った時は食べたかったけれど今は違う物が食べたいとすると、

今、それこそ旬の気持ちを大切にした方が、強い力で押し返すことができていた

 

はっきり言って、驚愕した。 そーなんだ!

それと同時に ”この食べ物は体に良い” という信仰がこの時崩れた。

なんだ、体の声が聞けたらいいんだ。

そうだよな、自分の体が欲する物と一般論は、往々にしてずれている。

但し、本当の声が聞けたら・・・ということだろう。

一般論は 人の声だから違うわけだ。

 

そもそも”健康”って一体何よ? と考えてみた。

・・・・・・・・・・。

一定の基準、何とか値はさておき、食べ物がおいしく、自分に規制のない状態・・・

ではないかな。

であるとすると、食べたい物を胃袋が満足するまで食べる。

もうストップ・・・と彼 (胃) が言えば、その指示通りちゃんと止められる。

そんなところが 健康の極意だろう。

 

逆に、食べたい物が分からなく、”人が食べると良い”という物を摂るのは ”不健康”ということになる。

また ”人が良い”という物を摂っているうちに、”自分の欲する”物が分からなくなるものだ。

ああ・・・人生、よくある話だ。

 

”病”は そもそも、体と心が分離した状態で表れる体の声であるからして、

ここを繋げていけば”完治”に至るのだろう。

またしても”心”がキーポイントか!

 

自分を知らずして何も始まらない。

でも 自分を知ることが一番怖い。

だから色んな情報を取り込むことで、自分の声を掻き消そうとしている。

勇気を出して 体の声を聞いてみよう。

 

まあ、美味しいと味わって戴くことが一番の”健康”の秘訣だろう。

またしても 楽な生き方 発見!

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2013.12.17

食べモンの話 (その2)

今日お伝えしたいことは結構難しく、さっきからどの言葉を使おうかヒジョーウに頭を悩ませております。

と言っても話が難しいのではありません。

常々私が思っていることを、言葉にすることが難しいのです。

私の中の常識と、一般にはびこっている常識が大きく違っているというのもあります。

だから一旦常識を外して、耳を傾けてみて下さい。

 

食品にも波動はあり、滋養、栄養価の高い物はあると思います。

しかし、あくまで自分の持っている波動とマッチしてはじめて働くのであり、

それ単体で働く訳ではないと、私は思うのです。

 

人の脳には 前もって情報が入っています。

例えば、無農薬野菜は体に良い・・・という情報が入っているとします。

そしてその物を食べると、”ああ、これで大丈夫、健康になった、ありがとう” と思う、

その感謝の気持ちこそが、本当は滋養になっているのです。 実際の養分以上に・・・。

 

”これは良くて、あれはダメ” と選抜された本当に体に良いとされる物ばかりを食べていれば、

それはそれで ある意味健康でしょう。

”健康な体をつくるぞ” という切なる想いが呼んでる部分、

”はい、これだけ栄養を摂っているから大丈夫” という安心感、これらもかなり大きいと思います。

 

マイナス面としては、拒絶のエネルギーも出ていて、そのエネルギーを脳が受け取り

マイナスに働こうと頑張る訳です。

もしも無農薬でない物を摂った場合、”間違った食べ物を摂取してしまった” という想いは、

私は不健康になるぞ”・・・ ”いや、ならなければおかしい”・・・ に変わり、事実そうなります。

何故ならば、今までの栄養学が正しいとインプットされているからです。

案外、何でも受け入れ、私に必要のない物は排泄する・・・とインプットする方が楽かもしれません。

 

なかでも健康食品メーカー (サプリメント等の) の効力は顕著です。

勿論栄養価の高い物を作られてはいるのでしょう。

でもそれ以上に、魅力ある人材を確保することが決め手で、

「あの人が摂取して あんなに素敵に生きられるのなら、私もああなりたい」

と思わせれば、もう勝ちです。

 

その人の脳は、”あの人を目標にするぞ!” と体に指令を出しますから、

極端な話、アメ玉でも大丈夫かもしれません。

それ程、人間の脳の威力はスゴイのです。 これを前にして、何者も太刀打ちできないでしょう。

 

私はひとつの見方を提唱しているに過ぎず、健康食品の否定には繋がりません。

健康食品も使い方は多様です。

あくまで目標を達成すれば良いわけですから、それも”自分を生きる”ひとつの方法です。

2013.12.16

真の自由人とは?

さて本来なら、『食べモンの話』 (その2) に入りたいとろろですが、ちょっと横道にそれます。

一昨日の最後の方の文面、「ふっくらした体型をシャープな体型に変えたい時は、

案外人の面倒を見ず自分の為に生きてみて下さい。」

この文の補足をしたいと思います。

 

自分の為に生きる=自由人

私の言うところの『自由人』を書いてみます。

まわりから見て、勝手気ままにある意味孤立して、好きに生きている人は

『真の自由人』やないと思います。

暴言吐いて我がまま放題、自分の意のみを通して生きている人のことです。

このタイプの人に、ちょっとなってみたくもありですが。

でもこれは、自由ではありません。 むしろ不自由です。

本来の自分ではないことにイラだちを覚え、人を拒絶しバリアを張って生きています。

だからよく人とぶつかります。

 

このタイプで生きている時は、本当の自分を表現していません。

人の批判はするのですが、決してお腹の中にある本当の思いを口にしてはいないのです。

本人は意見を言っているつもりですが、実は人に当たっているに過ぎません。

自分の我慢していることを平気でしている人をみると、腹が立ち規則 (法則) よルールを盾にし

戦いを挑んできます。

本当は自分と戦っていることも知らずに・・・

 

でも たいてい真っ直ぐで、ピュアー心を持った人が多く、世のため人のため尽力を惜しみません。

私はこの手のタイプの人、結構好きです。

そしてなにを隠そう、若い頃の自分の姿なのです。

 

大丈夫! そんな自分を冷静に見つめ、何故そうならざるをえなかったかをひとつずつ整理すると、

心は落ち着きを取り戻し 平静を保ちはじめます。

空気が澄んでいくように、心はなだらかに人に浸透していき、調和する心が芽生えます。

 

何故そうなるに至ったか・・・は子どもの頃に (または前世かも) ヒントがあります。

面倒臭がらずに子どもの頃味わった感情を、ゆっくりと思い出し消化していきましょう。

必ず未消化の感情があるはずです。

うまくいかない場合は、プロの方に相談してみてもいいかもしれません。

感情を解放していくパートナー (相談者) は、その時の直感で選ぶのが良いと思います。

 

勇気を持ってひとつの紐をほどくと、後は自然に愛が流れ出し、自分一人で抱えていられなくなります。

体はとても軽くなり、自分の呼吸 (真の呼吸) と出逢います。

空気を通して人と溶け合うのです。

その循環の極意を感じた幸福感は、まさにエクスタシーです。

『無私』の境地、人と自分の境目がなくなります。

この時はじめて『真の自由人』となれるのでしょう。

 

「自分の為に生きる」というのは、自分の呼吸を取り戻す・・・ということかしら。

案外、人の為に呼吸しているのかも・・・ですよ。

 

2013.12.15

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