Fの日記

“心ひとつ”の伝播

昨日 たまプラーザ駅前広場で体験した”フラッシュモブ”の話です。 (昨日の日記参)

踊ったり歌ったりしている人達は、解放されてとても気持ち良さ気でした。

その様子を見て 写真を撮っている人達の方が、恥ずかしそう。

でも”そうできたら、楽しいだろうな” という感じが伝わる・・・と書きました。

 

その場面を もう少しズームアップしてみると、こんな白抜きの言葉が見えてきます。

あくまで、私の感覚ですよ。

 

”大丈夫だよ、もう囲まなくても。 思いきり自分を表に出してみると 楽になるよ。”

”だめだよ、まだ出せない。

だって私たちの中には、おくゆかしい ことが評価される文化が流れているんだから。”

”そうだね、じゃあ 出せるようになったらね。”

 

戦後、”個性化”が叫ばれて、もう久しいです。

が、なかなか”個性化”は進んでないように思います。

だとすれば、無理に”個性化”であれと背伸びするよりは、自分たちの良さを伸ばした方が

得策ではないでしょうか。

 

心情、感覚、死生観など いろんな違いを持ち合わせた人達が

”心ひとつ”にする接点って、一体何だろう?

考えてみました。

 

すると、”こだわりからの開放”ではないかと思いました。

細かいしきたり、規範、の中に折りたたんだ自分自身を緩めてみる。

 

世代を超えて、その感覚が”心ひとつ”の大元にあるような気がします。

この感覚を大切に育てることで、自然と人から人へと伝播していくことでしょう。

そんなことを今日は考えていました。

 

連休中、お散歩にいった時に、畑に咲いていたお花を撮ってきました。

種類は違うけれど、コレふたつとも、ダリヤですって。 きれいでしょ?!

このロケーションで咲いているのは、世界にひとつ!世界にひとつだけの花”ですね。DSC00198.jpg

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2013.11.05

フラッシュモブ体験

今日、たまプラーザで おっちゃん(夫) と息子と3人で遅めの昼食を食べていた時のこと。

そう、2時過ぎ位だったかな、駅前広場にたくさんの人が集まってきて、

何が始まるのかな? と思ったら、突如踊りだしたり 歌ったり。

東急SCの2階からなので、ちょっと分かりずらいですが こんな人だかりだったんですよ。(下)

近くで見たいと、あわてて下に降りたのですが、もう終わっていました。

次世代街づくり委員会の人たちが、企画したんでっすて。

素晴らしい! みんな楽しそうでしたよ。

 

面白いなと思ったのは、見ている周りの人たちの反応。

表情薄く、一生懸命携帯で写真を撮っていました。

でも、心の奥の方では何かがうごめいているような・・・

きっと、共に踊りたいのでしょう。なりふりかまわず。 でも ここは冷静を保ちましょう。

みたいな感じがしました。

 

何回かこういう場面に遭遇すると、少しずつ表に現れてくるのかもしれません。

内なるものの表現には、時間がかかりますね。

 

今日は、素敵な体験をしました。

人の心を動かすって、すごいですね。 ブラボー!

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2013.11.04

季節のバトンタッチ・・・晩秋へ

この前、犬を連れてお散歩に行った時にご紹介した 裏山の秋。

確か まだ暑さの残る初秋でした。 そう ついこの間のことのように思いますが、

もう季節はバトンタッチをしたようです。 すっかり晩秋ですね。

同じ景色なのに、語りかけている空気が違います。

気分も心も ひとつ服を脱いで (脱皮? 脱穀?) 準備をしています。次の季節の為に。

植物も・・・ 昆虫も・・・ 動物も・・・

五感を研ぎ澄まして歩く晩秋の足音に 耳を傾けてみましょう。

 

今週は 父さんと一人の兄ちゃんが帰ってきたので、動物達は大喜び。

たまには犬なしで、長男 陽輔くんと一緒にカメラを持って裏山にお散歩。

 

これ(下の写真) 脱穀機なんですって。廻してみました。

新しい空気をお腹いっぱいに吸って 冬を迎える準備をしている風景に たくさん出逢いました。

満足!です。

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2013.11.03

世間一般・・・というくくり

世間一般というくくりの中に自分がいることが、安心なのでしょうか。

この枠を出ることは、結構勇気のいることかもしれません。

でも究極は、ここを飛び出さなければ、本当の自分とは出会わないのかもしれない・・です。

 

この枠の中に入る為に、はみ出している部分を切って丸くコンパクトに収めなければなりません。

きゅーと手足を短く折りたたんだ状態で。

 

そうすることが当たり前で育った人にとって、思い切り手足を伸ばしている人は、

不思議な感じがするのでしょう。

昨日の話でいけば、”空気読めない”と感じてしまうのも分かる気がします。

 

でも、”自分はこうあって欲しい と思う” と言うのではなく、”みんなの空気が こう言っている”

というのは、なんか変 だと思うのです。

なぜなら、主体が”自分”ではなく、”みんなの空気”にあるからです。

 

少しずつ 少しずつ主体(軸) を”自分”に戻してみましょうよ。

わたしが どう感じたか? 周りの人ではなく・・・

 

少し怖いかも・・ですが、ここを飛び出せば、素敵な世界が待ってるのでは?

こだわりがなく、偏見もない世界です。

 

私も そこに向かいたいです。

皆さんもご一緒に!

 

お散歩 まだかな? (バニラ) ごはん まだかな? (ルルベ)

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2013.11.02

空気よめない・・・って?

一般常識の範疇を超えた地点から 物事を眺めてみると、時折面白い発見があります。

ふと思ったこと・・・

”空気よめない” って、一体どいう事だろう?

 

「あの人、空気よめないよね。」 と言う人がいたとして、

私はよく、”そうかな?” と思います。

 

ある人の地点からみれば 、確かにそう見えるかもしれない。

でも、また違う人の地点からみると、、とても気配りをした行為のように思えるのです。

 

または、ある意味自由に生きている人って、多かれ少なかれ言われる場面が多いかもしれません。

まあ、本当の”自由”は違う・・・という論点も無きにしもあらずでしょうが、それは少し置いといて・・・

 

もう一度 事の中核をじっくりと覗いてみると、”空気よめない”というのは、

ある人が こうして欲しい・・・と思う事をしてくれない。

それだけのことではないのでしょうか。

 

世間一般・・・を借りた悪巧み 本当は自分の欲していない動作・言動に対する非難に過ぎない。

そんな風にも見えてきました。

まあ、ひとつの見方ですけれどね。

 

下の写真は、真夜中の動物達。

バニラ隊長は、1階でおうちを守っている。 (えらいぞ!)

ルルベ、パンシェ、みるくは、2階のソファーでなかよくおねんね。

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2013.11.01

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