Fの日記

夢を叶えて・・・ (その1)

寝て見る夢と、心に描く未来の夢は イコールです。

同じ字ですし、同じ意味なのです。

だから夢を活用することは、ある意味エコです。

自分にとって、悪い夢はありません。 悪夢なんて言いますが、心地の悪い夢を見るということは、

心地良くない状態と同居しているというメッセージですから、それをキャッチする必要があります。

心地良くない状態を 良い状態に変えられるチャンスでもあります。

 

マッ、それはいいとして、私の一番最初に抱いた夢を内緒で教えましょーね。

なな なんと 犬小屋に住むことです。

犬吉と呼ばれた史乃ちゃんですから (10月3日参) 、お庭にいたコロちゃんの

所に しょっ中遊びに行って、犬小屋で寝ていました。

(やっぱし変な奴) 「あ~あ、せまっ! コロちゃん もうちょっとあっちいってよ」

迷惑そうなコロちゃんにイヤがられながらも。

 

その内 犬小屋に住むのではなく、家を犬小屋にすればいいんだ・・・

そうか、気づくが早いか、既に犬猫小屋ですね。

夢が叶いました。

 

次に抱いた夢は、明日お話しましょう。

2013.10.15

アクトレス・女優さん

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昨日の物語はどうでした?

小説やおとぎ話を楽しむように、自分以外のストーリーを辿っていくって、ちょっとロマン・・ですよね。

昨日の写真が小さかったので、大きいのを上に入れました。

今日はまた違う物語が展開するかも・・・ 楽しんでみて下さい。 

 

下の写真は、オーラソーマ66番ボトル・アクトレス、女優さんのボトルです。

私は 時々これを選びます。何かに決別して前に進む時、或いは決別できずに、前に進めない時にも

選ぶことがあります。

前者と後者は、同じなのでしょうね。

 

ボトルの名前は後づけで、女優さんがよく買っていくので、この名前が付いたそうです。

物語の主人公になったように 客観的に運命を廻して (展開) いけばどうでしょう。

自分の歩く軌道上に、流れるようにストーリーが展開してくれて、

それを遊ぶかの如く傍らで眺めている。

それができれば、もうしっかりと運命を受け容れる準備完了!

決別して前に進むこともできる。 楽しいですね!

あっ、このボトルはタロットカードでは、ペンタクルのクィーンと対応しています。

豊かさ満々のカードです。 いいなぁ~

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2013.10.14

トイレの中の物語 (ハロウィン)

DSC00090.jpg10月2日の日記、”わが家は動物園”を読んでいただく

とだいたいの事情が解ると思いますが、我が家

に兄妹猫、ルルベとパンシェがやって来て

から、かわいい飾り物は殆ど消えました。

まず、お花が好きなルルベ君。

人形、ぬいぐるみをころがして遊ぶパンちゃん。

挙句の果ては、パンちゃんが下に落とし バニラが

くわえて嬉しそうに行進します。

そのパターンで何度もやられました。

ついにトイレの中しか飾れなくなってしまいました。

 

なもので ふみのちゃんは、トイレを物語風にアレンジして楽しみます。

季節毎にレイアウトを換えて。

心理療法のひとつ、箱庭療法のように・・・。

 

今月は、ハロウィン物語で決めてみました。ご覧下さい。

ねずみの親分が仮面を着けて、パーティに参加します。 「行ってくるよ。」とすまし顔。

家の中では暖炉が焚かれ、子猫達がピアノのまわりで集っています。 秋の収穫を祝う果物を供えて・・・。

 

宿敵である 猫とねずみのコントラスト。なごやかな風。

黒とマジェンタ (赤紫) で、ちょっぴり謎めいた雰囲気を・・・。

お庭では陽気なハロウィンおじさんが笑って見ています。影と日なたの物語。

 

真ん中の天然石、セレスタイトは暖炉に見立て、4つの赤い石は、精神性を表わしています。

左から赤虎目、マスコバイト、ルビー、スギライト。 其々に決意、意志、責任、勇気を。

なんてね!

あなたも 自分だけのストーリーを考えて楽しんでみては? フフフ・・・

2013.10.13

宗教的観念への依存 (その2)

案外、恨んだり憎んだり、また誰かを批判している時も同じ事のように思えます。

批判もせず、崇拝もせず、誰かの助言を有難く聞き流すことができれば、その時ひとつ 自立したということなのでしょう。

聞き流す事ができない・・・ということは、自分の中の検索ネットの網に引っかかっている訳ですから、

あなたも同じ要素を持っていることになります。引っ掛ける (呼び込む)要素を・・・。

 

もしも全てを総括して 自分の決定ができれば、実は誰も反対はしません。

している振りをしていても 自分とは違う存在を認め、徐々に手を引いていってくれます。

それでも尚トラブル時は、自信が誰かに抗っているのでしょう。

抗・・・を手放す。 そのうち体の中も柔軟に変化します。

 

もうひとつ、宗教的観念への依存は 特別なことではなく、誰にでも等しく存在します。

これを持っていない人はいません。

大切なことは、これとどう付き合うかという距離感の問題なのです。 (適当な距離感・身近な人、組織等に対する)

 

ほら、福沢さんちの諭吉君も その昔言っていたではないですか。

天は人の上に人をつくらず、人の下にも人をつくらない” と。

前にももうしましたが、”常に対等な人間関係の構築” は人類の進歩・発展のベース” であると、

F乃氏 思います。 以上・・・

 

今日は私のお友達のお嬢さんのライブを聴きにいきました。富田千尋ちゃん (右) と

 

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2013.10.12

宗教的観念への依存 (その1)

父ちゃんシリーズは昨日をもちまして終了しましたが、今日はその中に出てくる宗教的観念への依存のお話をしたいと思います。

5話の関西弁がどうした、こうした・・・の貢で、私がこう書きました。

父に いけない言葉と言われ、使用時 罪悪感がなかなか抜けなかったと。

小学校中学年までは「お嬢ちゃん、関東の人だね?」と言われ、高学年では ”方言はいいんだ”からとこわごわ使い始め、

横浜に来るまで、カタコトのような変な関西弁だったらしいです。 (本場の関西人によると)

 

でもそれは、あくまで父の主観に沿っていたに過ぎず、自分が感じて決定した事ではありません。

けれどノーマルな言葉を最初に覚えたので、今となって例え関西弁を使うなと言われても、違和感はありません。

それもひとつの事実なのです。

 

(両親のような) 絶対的権威の対象による主観的価値基準、それを宗教的観念と名付けましょう。

人はこの中に依存していると、とても楽なのです。

ひとつには責任をとらなくてもよい。 もうひとつは考えなくてよいからです。

 

それでいいのでしょうか? そのまま進んでも・・・。

ビンタを食らって理不尽な思いを味わいながらも、後はノーマルな言葉がすぐに出てくるありがたさに感謝しつつ

一方でそれを放していくことも大切なのではないでしょうか。

その時は必要だったのでしょう。今もそうでしょうか?

常に自分の持ち物 (価値観) を点検する事は、心のデトックス (浄化) に繋がると思います。

 

そして育った環境、受けた教育は、自分が選択して産まれてきているのです。

それを全うする意味でも、甘んじてそれらを受けましょう。 責任を持って・・・。

 

逆説のようですが、このふたつの事実をしっかりと受けとめ、

感謝しつつ手放していくことを学んでいきましょうね。

 

2013.10.11

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