Fの日記

宗教的観念への依存 (その2)

案外、恨んだり憎んだり、また誰かを批判している時も同じ事のように思えます。

批判もせず、崇拝もせず、誰かの助言を有難く聞き流すことができれば、その時ひとつ 自立したということなのでしょう。

聞き流す事ができない・・・ということは、自分の中の検索ネットの網に引っかかっている訳ですから、

あなたも同じ要素を持っていることになります。引っ掛ける (呼び込む)要素を・・・。

 

もしも全てを総括して 自分の決定ができれば、実は誰も反対はしません。

している振りをしていても 自分とは違う存在を認め、徐々に手を引いていってくれます。

それでも尚トラブル時は、自信が誰かに抗っているのでしょう。

抗・・・を手放す。 そのうち体の中も柔軟に変化します。

 

もうひとつ、宗教的観念への依存は 特別なことではなく、誰にでも等しく存在します。

これを持っていない人はいません。

大切なことは、これとどう付き合うかという距離感の問題なのです。 (適当な距離感・身近な人、組織等に対する)

 

ほら、福沢さんちの諭吉君も その昔言っていたではないですか。

天は人の上に人をつくらず、人の下にも人をつくらない” と。

前にももうしましたが、”常に対等な人間関係の構築” は人類の進歩・発展のベース” であると、

F乃氏 思います。 以上・・・

 

今日は私のお友達のお嬢さんのライブを聴きにいきました。富田千尋ちゃん (右) と

 

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2013.10.12

宗教的観念への依存 (その1)

父ちゃんシリーズは昨日をもちまして終了しましたが、今日はその中に出てくる宗教的観念への依存のお話をしたいと思います。

5話の関西弁がどうした、こうした・・・の貢で、私がこう書きました。

父に いけない言葉と言われ、使用時 罪悪感がなかなか抜けなかったと。

小学校中学年までは「お嬢ちゃん、関東の人だね?」と言われ、高学年では ”方言はいいんだ”からとこわごわ使い始め、

横浜に来るまで、カタコトのような変な関西弁だったらしいです。 (本場の関西人によると)

 

でもそれは、あくまで父の主観に沿っていたに過ぎず、自分が感じて決定した事ではありません。

けれどノーマルな言葉を最初に覚えたので、今となって例え関西弁を使うなと言われても、違和感はありません。

それもひとつの事実なのです。

 

(両親のような) 絶対的権威の対象による主観的価値基準、それを宗教的観念と名付けましょう。

人はこの中に依存していると、とても楽なのです。

ひとつには責任をとらなくてもよい。 もうひとつは考えなくてよいからです。

 

それでいいのでしょうか? そのまま進んでも・・・。

ビンタを食らって理不尽な思いを味わいながらも、後はノーマルな言葉がすぐに出てくるありがたさに感謝しつつ

一方でそれを放していくことも大切なのではないでしょうか。

その時は必要だったのでしょう。今もそうでしょうか?

常に自分の持ち物 (価値観) を点検する事は、心のデトックス (浄化) に繋がると思います。

 

そして育った環境、受けた教育は、自分が選択して産まれてきているのです。

それを全うする意味でも、甘んじてそれらを受けましょう。 責任を持って・・・。

 

逆説のようですが、このふたつの事実をしっかりと受けとめ、

感謝しつつ手放していくことを学んでいきましょうね。

 

2013.10.11

10月10日は写真の日!?

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30代の父 (左上) 愛犬とふーみん (右上)

滅多に被写体にならない父の写真を探すのは大変でした。右が私(下)

 

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2013.10.10

父ちゃんの話⑥ (先生は正しい?)

小学校の入学式 前日の話をしましょう。

父は私を呼び、大切な話があると言わんばかりに真近で顔を見て、ゆっくりと話し出しました。

「入学おめでとう。明日から学校に通うんだね。楽しんできてね。

お父さんからひとつだけ お願いがある。 聞いてくれるかな?」

 

いつもと変わらず 優しい眼差し、ゆっくりしたトーン、そして (例の) 標準語! もう、ナイスです。

「先生の言われることを 正しいと思って聞くのではなく、いいかね?ここが大切なんだ。

(結構間をおいて・・) 先生の言われることは、本当に正しいのかな?と思って聞いてほしい。

先生も 史ちゃんと同じ人間だからね。 いっぱい間違えることもあるんだよ。」

 

私はその時 6歳ですから、48年も前ですよ。ほぼ半世紀じゃないですか。

でも、このトーン、父の真剣な だけど温かい表情を、昨日のことのように鮮明に覚えています。

頭の中の最重要引き出しに私が入れたのでしょう。

先生は正しいよ・・・と言っていないのに、

まだ見ぬ先生という人に対する 敬意のようなものを感じたことも・・・。

父はきっと、先生に対する大きな敬意を持って、私にこの事を伝えたのでしょう。

 

私は、しっかりとこの約束を果たして大きくなりました。

だから先生の悪口を言った事は、ないと思います。 (息子達の先生のことも・・)

不満はありました。でも、これも誠意を持って先生に伝えました。

だから今も、全ての先生に感謝しています。

父のお陰ですね。

 

人は正しくなければならない。 先生は正しいことを言うべきだ。

これは結局 自分を苦しめることになるのかもしれません。

人間だから間違うのは当たり前・・・力が抜けて、素敵な言葉ですね。

おしまい!

 

2013.10.09

父ちゃんの話⑤ (罪悪感バリバリの関西弁)

今日は、①話でお約束した関西弁の話をしましょう。

ほら、また今度言います、言うたあの話です。

 

父ちゃんは、私に甘くて優しい人でした。が、ひとつだけ血相を変えて怒ることがあったのです。

「・・・やな」 「・・・やで」と、関西弁は語尾に ナとデ が付く事多し ですよね。

でもこの2文字を語尾に付けると、ビシッとビンタがとんできます。

「女の子は そんな言葉を使うものではない。」

 

この2文字を使わなければ、関西弁をしゃべるな・・と言うのと同じやない? 幼な心に思いました。

でも彼いわく、「方言は良い」・・・どういうこと? 訳わからん!

そーいえば、父ちゃんは私と話す時 いつもきれいな標準語でした。

 

でもですよ、日記の件でもわかるように、彼はいったん言い出したら引きません。

ここは穏便に 標準語ってヤツを使っときまひょ。

ってなことで私は、常に関東の方から転校してきた・・・という友達と仲良くなり、

「東京からきたの?」 とよく言われたものです。

 

関西弁で話すこと事態に少なからず罪悪感があり、それが完全に抜けるまでに長い年月がかかりました。

だから父の話をする時、その反動なのか ふんだんに使ってみた~くなったのです。

 

親の影響って すごいものですね。

こんなに自由に関西弁でしゃべれるようになったのは、なんと横浜に来てからです。

何かの型がはずれたように感じることも あります

 

それにこちらでは、流暢に関西弁をしゃべる人・・と思われているので、気分いいのです。

種を明かせば 本当はチョーへたくそなのですよ・・・フフフ

 

2013.10.08

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